藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件

【猟奇的殺人】3日間休まず遺体を切り刻んでいた藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件が闇深過ぎ・・・ 2017年07月02日

藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件

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藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件

事件概要

藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件とは、1987年(昭和62年)神奈川県藤沢市のアパートの一室で起こった猟奇殺人事件。



被害者

「スピッツ・ア・ロコ」のリーダーの茂木政弘

主な犯人

被害者の妻と被害者の従兄



事件発生時

1987年2月25日の夜、連絡が取れないことを不安に思って部屋に駆けつけたバンドメンバーが何の応答もないため警察に通報。

通報を受けた警察官がアパートの一室に踏み込みやむなく鍵を開け部屋に入ると、室内ではカセットテープレコーダーから流れる音楽を聴きながら、2人の男女が男性の遺体を一心不乱に解体作業していた。

声をかけても、遺体の解体作業を止めずに、「悪魔払いをしている」と繰り返す。

遺体は頭、胴体、足が切断され、骨から肉を刃物で削ぎ落とされ、肉片が台所から流されていた。肉がほとんど削ぎ落とされた遺体は、女の夫であり、男の従弟である「スピッツ・ア・ロコ」のリーダーの茂木政弘だった。

妻と従兄はその場で死体損壊容疑で逮捕される。



事件前後

被害者と従兄とは幼い頃から仲良しで、被害者の従兄に対する信頼は絶大だった。

従兄が新興宗教に入信した際も、即座に入信するほどだった。

従兄は埼玉県に転居し、被害者夫婦は被害者男性の実家で暮らしていた。この頃には3人とも新興宗教から脱会していた。

事件現場となるアパートに部屋を借りた従兄が、夫婦のところに現れ「自分に神が降りた。この世は悪魔だらけ。悪魔を追い払う救世の曲を作れるのはおまえしかいない」と言われる。

被害者は「救世の曲」の作曲に取り掛かる。

被害者のバンドメンバーは、従兄が危険人物であると察知して、何とか夫婦を従兄から引き離そうと努力するが、聞き入れずに夫婦と従兄は、アパートに泊まり込み、「救世の曲」の製作を開始する。

「救世の曲」の製作が開始されて1週間ほど経過して、被害者が「悪魔に憑かれてしまった」と言い出す。

従兄は被害者に自己流の悪魔払いを行うが、効果が無かったため、「悪魔を追い出すには肉体が死ななければだめだ」と考え絞殺する。

その後、被害者のの妻と二人で「救世の曲」を聴きながら、遺体を解体する。

藤沢悪魔祓いバラバラ殺人事件の現場とされる場所。


遺体状況

死体は頭、胴体、足に切り離されコマ切れにされていた。

床に敷かれたシーツは真っ赤に染まっていた。

床には肉が詰められた大量のビニール袋が置かれていた。

警察が部屋に入った時、男はカッターナイフで頭蓋骨の肉をはぎ、女はハサミで足の肉を切っていた。

藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件被害者

判決

92年5月13日、横浜地裁は責任能力が多少低下しているものの「2人には善悪を判断する能力があった」とする精神鑑定の結果を元に、従兄に懲役14年、妻に同13年を言い渡した。

あとがき

この事件期に凶悪な事件を起こした少年に少年法が適応されるのかという議論が湧き少年法改正論議に火を付けたとされる

藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件について

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2017年07月02日 19:01更新
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