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【猟奇的殺人】日本国内で起こった大量殺人事件で一番人を多く殺したのがこれ ※津山事件 2017年08月03日

津山事件

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津山事件

事件概要

津山事件または、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。都井睦雄事件や津山三十人殺しともいう。

近隣地域では「加茂の三十人殺し」と呼ばれている。

犯行が行われた2時間足らずの間に28名が即死し、5名が重軽傷を負った(半日以内に2名が死亡)。犯行後に犯人が自殺したため、被疑者死亡で不起訴。

犯人

都井睦雄(とい むつお)

津山事件都井睦雄



事件発生以前

幼少期からの生活

犯人の都井睦雄は1917年(大正6年)3月5日、岡山県苫田郡加茂村大字倉見(現・津山市)に生まれた。2歳で父を、3歳で母を、ともに肺結核で亡くす、祖母が後見人となり、一家は加茂の中心部である塔中へ移り住む。

都井が6歳のときに一家(祖母と姉)は祖母の生まれ故郷の貝尾集落に引っ越す。

都井家にはある程度の所得と資産があったため比較的楽に生活を送ることができた。

祖母は体調不良などを理由に、都井に家にいることを要求したため、都井の尋常高等小学校への就学は1年遅れた。
就学後もたびたび欠席を余儀なくされたが成績は優秀だった。担任教師に進学を勧められたが、祖母に反対されたために断念する。

尋常高等小学校を卒業直後に肋膜炎を患い医師から農作業を禁止され、何もしない生活を送っていた。

病状は回復していき、実業補習学校に入学したが、姉が結婚した頃からだんだん学業を嫌い、引きこもるようになり、同年代の人間と関わることはなくなっていった。

一方で、自身が子供向けに作り直した小説を近所の子供達に読み聞かせ近所の人気者になっていったり、近隣の女性達と夜這い(この地域での風習でもあった)などの形で関係を持つようになっていく。

1937年(昭和12年)、都井は徴兵検査を受け、結核を理由に丙種合格(入営不適、民兵としてのみ徴用可能。実質上の不合格)とされた。

その頃から、都井はこれまで関係を持った女性たちに、丙種合格や結核を理由に関係を拒絶されるようになり、心無い風評に不満を募らせていった。

凶器の入手

同年、狩猟免許を取得して津山で散弾銃を購入。

翌1938年(昭和13年)にはそれを神戸で下取りに出し、猛獣用の12番口径5連発ブローニング猟銃を購入。

毎日射撃練習を行う。毎夜猟銃を手に村を徘徊し近隣の人間に不安を与えていく。

この頃から犯行準備のため、自宅や土地を担保に借金をしていた。

しかし、都井が祖母の病気治療目的で味噌汁に薬を入れているところを祖母本人に目撃され、そのことで「孫に毒殺される」と警察に訴えられたために家宅捜索を受け、猟銃一式の他、日本刀・短刀・匕首などの武器類を押収され、猟銃免許も取り消された。(本当の毒だったかどうか不明)

この一件により凶器類を全て失うが、知人を通じて猟銃や弾薬を購入したり、刀剣愛好家から日本刀を譲り受け、再び凶器類を準備していった。

以前親しかったが都井の元から去って他の村へ嫁いだ女性が村に里帰りしてきた1938年(昭和13年)5月21日の未明、それを狙ったかのように犯行が行われた。


犯行

犯行準備

都井は事件の数日前から実姉を始め、数名に宛てた遺書を書いていた。

自分の姉に対して遺した手紙は、「姉さん、早く病気を治して下さい。この世で強く生きて下さい」という内容である。

自転車で隣町の加茂町駐在所まで走り、住民が救援を求めるのに必要な時間をあらかじめ把握しておくなど、犯行に向け周到な準備を進めていたことが判明した。

1938年(昭和13年)5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾集落のみを全面的に停電させる。

村人たちは停電を特に不審に思わず、通報等や原因の特定などを試みることはなかった。

翌5月21日1時40分頃、都井は行動を開始する。

詰襟の学生服に軍用のゲートル(脛当て的なもの)と地下足袋を身に着け、頭にははちまきを締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。首からは自転車用のランプを提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を装備した。

津山事件犯行イメージ

津山事件犯行イメージ

決行

近隣の住人を約1時間半のうちに、改造猟銃と日本刀で殺害していった。

被害者たちの証言によると、この一連の犯行は極めて計画的かつ冷静に行われたとされている。

最終的に死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)、重軽傷者3名の被害者が出た。

死者のうち5名が16歳未満(最年少は5歳)である。

計11軒の家が犯行に遭い、そのうち3軒が一家全員が殺害され、4軒の家は生存者が1名だけであった。

犯行に遭った家の生存者たちは、銃声と怒鳴り声を聞き、身を隠すなどして助かった。

また、2名は襲撃の夜に村に不在だったため難を逃れた。

津山事件現場

津山事件現場

津山事件当時の新聞

津山事件当時の新聞

津山事件被害者

津山事件被害者

自殺と遺書

約一時間半に及ぶ犯行後、遺書を書くために必要な紙と鉛筆を用意するため、隣の集落の一軒家を訪れた。

家人は都井の異様な風体に驚いていた状態だったが、その家の子が以前から顔見知りであったため、その子に頼み鉛筆と紙を譲り受ける。

去り際にこの子へ「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけた。

その後、3.5km離れた荒坂峠の山頂で、追加の遺書を書いた後、猟銃で自殺した。

遺体は翌朝になってで発見された。猟銃で心臓を撃ち抜いており、即死したとみられている。

都井は遺書の中で、犯行を起こす決意をしたのは、以前都井と関係があったのに他家に嫁いだ女性が、里帰りしていたからとしている。しかし、この女性は実家に都井が来たときに逃げ出して助かり、逆に逃げ込んだ家の家人が射殺された。


犯行場所は岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落。

犯行場所ストリートビュー。

事件後

一家全滅や一家の大部分を失ったところもあり、集落の大部分が農業で生計を立てているため、生活が苦しくなった。

さらに、都井の親族であり、都井から襲撃を受けることのなかった一家が、犯行することをを知っていてわざと隠していたと疑われ、村八分に近い扱いを受ける。

事件後、犯人の都井が警察による取り調べを受ける前に自殺し、多くの被害者が亡くなったため、生存者による証言しか残っていない。

70年後の証言

容疑者は当時幼なじみと婚約していたが、肺結核に感染した容疑者との結婚を反対され、二人は破局し、女性は別の男性と結婚した。

容疑者はそのことから犯行に及んだ可能性があり、肺結核に対する自身への悪口を言った村人を順に殺害したといわれている。

その女性は事件後に貝尾を離れ他の集落に転居した。被害者の1人であるにもかかわらず周囲からは「被害を作った張本人」とみなし、70年以上経っても地域社会から孤立させられたとされている。

津山事件の詳細動画

津山事件が元になった作品

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2017年08月03日 19:01更新
再生回数 : 5,700 回

管理人コメント

日本で起きた殺人事件の中で一番多くの人を殺している津山事件についてまとめて見ました。この事件は30人を殺し日本歴代一位の大量殺人事件らしいです。刀と猟銃装備とか一般人画勝つこと無理やんけ。
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